大判例

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大阪高等裁判所 平成元年(ネ)2018号 判決 1990年6月26日

控訴人 一色英子

被控訴人 一色定一郎 遺言執行者

大木和夫

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨。

第二当事者の主張

左記のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  原判決1枚目裏末行目の「一色定作」を「「一色定作(以下「定作」という。)」と、同2枚目表11行目の「し、」を「し(以下「本件遺言」という。)、」と訂正する。

二  控訴人の主張

1  定一郎は、精神分裂病に罹患していたにも拘らず、本件遺言当時同人の能力・症状について精神科専門医による立会、診断がなされていないのであるから、遺言能力存否の判断に当たつては罹患者の家族関係、成育歴、病歴、症状とその程度の推移、日常生活への適応状況等全般の把握と検討が不可欠である。

2  また、精神分裂病罹患者は知能障害を来すことは少なく、思考、感情、意欲の障害故に正常な判断ができず、意思能力が存在しないとされる場合が多いのであるから、知能障害がみられないからといつて意思能力があるということはできない。

3  ところで、定一郎の父定作は躁欝病に罹患していたところ、昭和54年1月29日自殺した。そして、定一郎は、同29年4月大学在学中に精神分裂病に罹患し、以来入院と通院を繰り返していたが、同54年2月5日○○病院に入院した後も病識を有しておらず、本件遺言書に署名、押印し、○○病院に帰院後である同年8月21日には意思表出の乏しい亜昏迷の状態に陥つており、同61年11月26日同院内で自殺した。

このような事実に照らすと、定一郎は、本件遺言当時精神分裂病により意思能力が欠如していたというのが相当である。

三  控訴人の主張に対する被控訴人の認否

争う。

第三証拠

証拠の関係は、原審及び当審記録中の各証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因について

請求原因1(定作が本件土地、建物をもと所有していたこと)、2(定作の死亡と定作、定一郎及び控訴人の身分関係)3(定一郎と控訴人の遺産分割協議)、5(定一郎の死亡)、7(本件土地、建物につき本件所有権移転登記が経由されていること)の各事実は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第2号証、第14号証、原審証人一色定幸の証言によると、請求原因4(定一郎が本件遺言をなし、遺言執行者として被控訴人を指定したこと。)の事実が認められ、同6(被控訴人が本件遺言執行者の就職を承諸したこと。)の事実は、本件弁論の全趣旨により認められる。

二  控訴人は、定一郎が昭和54年8月15日本件遺言をなした当時精神分裂病に罹患しており、意思能力を欠いていたと主張する(抗弁)ので検討する。

1  成立に争いのない乙第10号証中には、右主張に副う記載がなされている。

しかしながら、右書証の作成者は定一郎を現実に診察したことがなく、また、定一郎の入院中治療に当たつた主治医、看護者等からの事情聴取もしておらず(成立に争いのない甲第11号証、原審証人谷津務の証言により認める。)、右記載は、本件遺言当時の定一郎の具体的日常生活状況等に基づいて、病像の全貌を把握したうえでの見解とはにわかに認め難いこと並びに以下で認定説示したところに照らして、にわかに採用し難く、他に右抗弁事実を認めるに足りる証拠がない。

前掲甲第11号証、第14号証、成立に争いのない甲第3号証、第4号証の2、第5号証の1、2、第6号証、第17号証、第19ないし第22号証、乙第1号証の2、第2号証の1、同号証の14、第3号証、第4号証の1、2、第6、第7号証の各1、2、第9号証の1、2、原審証人谷津務、同一色定幸の各証言、原審における控訴人本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)に弁論の全趣旨を総合すると、

(一)  定一郎は、精神分裂病に罹患し、その治療のため、昭和36年4月25日から同年12月31日まで○○医大附属病院に、同38年5月28日から同47年10月25日まで○○○病院に、同48年11月から同51年4月8日まで○△医院に、そして、父定作の初七日が終つた同54年2月5日から、同人が自殺した同61年11月26日まで○○病院に、それぞれ入院していたが、その症状は、精神分裂病の中でも人格障害の程度が高度にまでは至らない「単純型」に属しており、その程度も中等度であつたこと、定一郎は、○△医院に入院中から退院後の昭和51年9月までの間スーパーマーケツトでアルバイトをしており、同54年2月5日○○病院に入院したのは、父の突然の死という異常事態に際会して、それ相応の対応が可能かが懸念されたためであり、当時或る程度の病識を有していたのであつて、着衣、行動共に異常がなく、比較的筋の通つた会話も可能であつたし、受入態勢が整えば、退院できる状況にあつたこと、同月13日には開放病棟に転棟して作業療法に従事していたこと、同人には知的機能の障害は殆どなく、日常自らの計算において書籍等を購入し、読書を好んでしており、飯合炊さん等のレクリエーシヨンにも参加していたこと、同人の状態が引き続いて安定していたため同年8月12日から同月16日まで主治医による外泊許可を受けたが、外泊先でも特に変化はなく、本件遺言をなした時点においても正常人と異なる挙措がみられなかつたこと、帰院後も、室内作業に従事するなど著変がなく、概ね普通の状態で安定し、独りで同院から○△市・△△市中心部等の病院に交通機関を乗り継いで通院して口腔疾患等の治療を受けていたこと、並びにその当時の定一郎の主治医であつた谷津務医師が、定一郎の遺言能力に疑問を抱かせる症状がなかつたと診断していること。

(二)  定治郎は、定作の弟即ち定一郎の叔父であり、祖母カネを長年扶養してきた上、定作の死亡した昭和54年1月29日以降葬儀、墓参等の祭祀を司り、本件土地、建物を含む財産の整理、管理を行つていた。それに、定一郎も日頃から定治郎の心遺い等に感謝していた。

これに対して、控訴人は、昭和51年12月23日定作との養子縁組届出をした頃から定作や定一郎の面倒を見ていたものの、必ずしもしつくりいかず、同53年に勤めに出てからは定一郎の世話を定作にまかせていたし、定一郎の○○病院への入院後は本件遺言の後に所用で2度同院を訪れたのみであつたし、定一郎の訃報についても、関係者の努力にもかかわらず、承知したのは3、4日後という始末であつた。

(三)  定作の死後昭和54年7月26日の遺産分割協議によつて、定一郎が本件土地、建物を取得する一方、控訴人も1785万円に及ぶ国債、投資信託、預金等並びに合計459・60平方メートルの土地及び4軒の同地上建物を取得している。

以上のとおり認められ、右認定に反する前掲控訴人本人の供述部分は採用できず、他に同認定を左右するに足りる証拠はない。

2  右1で認定のとおり、定一郎は、本件遺言当時精神分裂病に罹患しており、それまで右治療のため長期にわたり入退院を繰り返していたものの、その症状は人格障害の程度が高度に至らない「単純型」の、しかも中等度に属するものであり、定一郎は○○病院に入院前一時就労していたこと、右入院後も病識を有し、本件遺言時も異常な挙措がみられなかつたことに加えて、右遺言の前後を通じ開放病棟で室内作業に従事したり、自らの計算で書籍等を購入したり、独りで交通機関を乗り継いで通院するなど独自の判断による行動が可能であつたのみならず、定一郎が生前全財産を叔父定治郎に遺贈する旨の本件遺言をなすことにつき両者の身分関係等から首肯するに足る動機が窺えること、その他右1で認定した諸事実に鑑みると、定一郎は、本件遺言をなした当時精神分裂病の罹患により精神的能力が相当低下していたことが窺われるものの、比較的単純な内容の本件遺言をなすに必要な理解力、判断力が欠けていたとは到底認められないから、本件遺言を無効にしなければならない程定一郎の意思能力に欠陥があつたということはできない。

三  以上のとおり、被控訴人の本訴請求は理由があり、これを認容した原判決は相当であつて本件控訴は理由がない。

よつて、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法第95条、第89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石田眞 裁判官 福永政彦 鎌田義勝)

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